梅見月ふたよの創作系裏話

創作物に関する独り言を連ねる日記帳

SS2【ドキドキサプライズ・アンサー1】

「本日、陛下のお渡りがございます」

 日没後、ルビア付きのメイドであるポーラが無表情でそう告げた。

 結婚後何度か聞いた、久しぶりの業務連絡。

 いつものルビアなら、何の感慨もなく了承の一言を返すだけだったが。

 今回だけは勝手が違う。

 否応なしに胸が高鳴り、足下から突き上げるような期待で、全身が一瞬にして真っ赤に染まった。

「ぽ、ポーラ。その陛下は、光? 影? どちら?」

 ここ、フリューゲルヘイゲン王国には、国王が二人居る。

 一人は表向きの国王で正統な王でもある光の鷲、グエン=シュバイツェル。

 もう一人はグエンの影武者を務めていた影の鷲、グローリア=ハインリヒだ。

 初代国王から続くシュバイツェル王家の血を継いだ男性グエンと、初代宰相から続くハインリヒ家の血を継いだ女性グローリアは、その実、二人一組で当代国王ダンデリオン=シュバイツェルの看板を背負っている。

 これは特一級の国家機密なので、フリューゲルヘイゲン内でも知っている者はごくわずか。

 ポーラは、ルビア皇女が嫁いでくる前から信を置くメイド兼暗殺者として、ルビアと情報を共有していた。

 乞うように潤んだルビー色の目で見られたポーラは、一切の情を捨て去った顔で首を横に振る。

「光の君でございます」

「あらそう」

 ころっと態度を変えるルビア。

 期待も熱量も瞬時に冷め、興味無さげに窓の外へと視線を投げる。

「例のお祝いでもしてくださるのかしらね。お祝いの品にしろ何にしろ、光の鷲にいただいても全然まったく欠片も微塵も嬉しくないのだけど。というか、今夜はグローリア様との逢瀬に行かれるとばかり思っていたのに、どういうおつもりなのかしら。せっかくグローリア様も何かを考えておくと仰っていたのに、ご厚意を棒に振るなんてありえませんわ、あのすっとこどっこい。お二人で過ごされるのも、それはそれで腹立たしいけれど」

 舌打ちでもしそうな勢いで夫に悪態を吐く正妻。

 さすがにそれは王妃としてどうなのかと言いたげに、ポーラの目が細くなる。

「そんな目で見なくても解っていますわ、ポーラ。私はフリューゲルヘイゲンの当代王妃。国王陛下のお求めがあれば、どんなに憂鬱でもお応えするのが私の役目。すぐにお迎えの支度をして。それなりのおもてなしでね」

「……かしこまりました」

 静かに頭を下げたポーラの退室を見届け、ルビアはソファーに身を沈めた。

 天井を見上げ、溜めていた息を細く吐き出す。

「やっぱり、期待なんかするものではありませんわね。本当……懲りない私」

 期待、してしまう。

 もしかしたらと、焦がれてしまう。

 欲しいと思ったものが手に入ったことなんて、生まれてから一度たりともなかったというのに。

「愚かしい」

 そっと閉じた目蓋の裏側に愛しい人の笑顔を思い浮かべ。

 自分には決して向けられないそれに、悲しみの蓋を閉じた。

 

「ようこそおいでくださいました、ダンデリオン陛下」

 部屋の外からポーラの声が聞こえてきた。

 既に支度を終えたルビアが、夫を迎え入れる為に扉の前で待ち構える。

 結婚記念日のお祝いとやらがどんな形であれ、相手がグエンならば、いつも通りの展開になるだろう。

 軽食と適当な歓談、そして夜伽。

 形式的で事務的な国王夫妻の義務。

 まさか王太子を立てた後にまで求められるとは思わなかったが、グエンがそうしたいと言うのなら、ルビアに逆らう権利は無い。粛々と受け入れるのみ。

 扉のノブが動くと同時に夜着の裾を両手でつまみ、腰を落として頭を下げる。

「お待ちしておりました、ダンデリオン陛下」

 機械的な決まり文句。

 感情が宿らないそれに、入室したダンデリオンは柔らかい声で応じた。

「お待たせしました、ルビア王妃陛下」

「………………え!?」

 パッと上げた顔。

 目の前で微笑んでいるのは、グエンでは、ない。

 国王の装いをしたグローリアだった。

「え、グローリア様が、何故……ポーラ、どういうこと!?」

「申し訳もございません。ルビア陛下には御内密にとのお話でしたので」

「そういうことです。私の願いを聞いてくださったポーラ夫人をお叱りになりませんよう、お願いいたします」

「叱るなどっ……ああでも、どうして! グローリア様が来てくださるのならば、もっと良いお迎えをいたしましたのに!」

「先に言ってしまったら、サプライズにならないでしょう?」

「! 昼のあれ……、本当に……?」

「はい。ルビア王妃陛下のご要望にはお応えできませんが、それに限りなく近い事で結婚記念日のお祝いに参りました。お相手願えますか? 我が妻ルビア」

 国王としてルビアの手を取り、甲に恭しく口付けるグローリア。

 茫然とグローリアを見つめていたルビーの目が徐々に大きく開いていき、白い肌が果実のごとく熟れた。

「こちらこそ……こちらこそ、よろしくお願いいたします……っ!」

 カタカタと小刻みに震える手でグローリアをソファーに招き、国王の装いを軽くしてから、軽食をつまみつつ落ち着かない歓談。シュワシュワと泡立つ黄金色の飲み物をフルートグラスに注いでは空け、注いでは空け。

 居丈高に振る舞う高貴な淑女はどこへやら、真っ赤な頬を隠せもせず、グローリアの言葉に相槌を入れてはぴるぴる震え、きょどきょどと不自然なほど目線が泳ぐ。

 そんな彼女にグローリアは小さく笑い、手を差し出した。

「ベッドへ参りましょう」

「ふゃあ……っ!?」

 ビクーッと肩を跳ね上げたルビアに構わず、ルビアの手を引いてベッドの端に座り。

 隣へどうぞと、布団をポンポン叩く。

「しっ、失礼、します!」

 ガチガチに固まったぎこちない動きで、グローリアの左隣に座る。

 二人の左手側には、二人分の枕が置かれていた。

 グエンがそうしていたように、グローリアも右手を伸ばして覆い被さる……と思いきや。

 左手でルビアの肩を抱き、失礼しますと言ってグローリア側に引き寄せられた。

 鍛え上げられたしなやかな脚の上に右耳を乗せる形で、こてんと横になる。

「…………あの……、グローリア様……? これはもしや……」

「膝枕です。ご不快ですか?」

「ご褒美です! ご馳走様です!!」

「ごちそうって……。喜ばれたのなら幸いです。今宵一晩は空けておきましたので、気兼ねなく使ってください」

「使っ……!?」

「枕としてですよ。それ以上はご容赦ください」

「ひゃわっ」

 髪を優しく撫でられ、驚きと緊張で身体が跳ねた。

 やめますか? と尋ねてくるが、ルビアはすかさず首を振り、グローリアの左手に自分の手を重ねた。

「………………枕なら、私の独り言も聴いてくださいますわよね?」

「……はい。貴女だけの枕ですから、ご随意に」

 キュッと、汗ばんだ手に力が込もる。

「貴女だけ……。そう。貴女だけだったのです、グローリア様。貴女だけが、私自身を評価してくださった。貴女だけが、厄介者で不要品な第三皇女でも、皇国への窓口でもない私を見て、私という人間に価値を与え、その価値をグローリア様には必要ないのだと切り捨ててくださった。私の価値は、私が与えたいと思った相手に捧げれば良いのだと。貴女だけが、私自身の意思を認めてくださったのです。グローリア様」

 驚いたように跳ねた手をルビアの口元に手繰り寄せ、手のひらに口付ける。

「あの日から、私の心は貴女だけの物。私の価値は全て、グローリア様への捧げ物」

 愛しています。

 愛しています。

 愛しています。

 たとえ、貴女が私を必要としていなくても。

「私の持てる全ては、グローリア様だけの物。だから……グローリア様は、本当に愛する人の許へお戻りになられてください」

「ルビア?」

「既に貴女の物である私から贈れるお祝いの品は、それしかありませんの。グエン様との時間を大切になさって、グローリア様」

 グローリアの手を頬に当てたまま頭の向きを変え、微笑みで見上げる。見開かれた黒紫色の目はグエンと同じ色なのに、ルビアにはまったくの別物に見えた。

 神秘的な夜の空。

 ルビアには決して踏み込めない聖域。

「……貴女は不思議な女性ですね。体当たりで迫ってきたかと思えば、波のように引いていく」

「美しい表現で ひゃあっ!?」

 グローリアが手を引き上げ、自ら起き上がったルビアの身体を枕側に押し倒した。

「な、ぐぐっ、グ、グロー、グローリア様っ!?」

「まるで最初から嫌われていても構わないと諦めていたかのようだ。嫌われても良いと諦めていたのに、すがりつくことをやめられない子供」

 背後から腹部に腕を回され、耳元に唇を寄せられて。

 ルビアの身体中が燃えそうな赤で埋め尽くされる。心臓がバクバクと悲鳴を上げる。

「確かに私は貴女を求めてはいませんが。今宵一晩は貴女だけの枕ですよ、我が妻ルビア。淋しい夜くらいなら、抱き締めて差し上げます。だから、今にも泣き出しそうな目で無理矢理笑わないで」

「グローリア様」

 二人で枕に頭を乗せて横たわる。

 隙間なくぴったりとくっついた身体が温かくて、なのに、とても……遠い。

 実直で、誠実で、愛しいからこそ、残酷な人。

 全部はくれないのに、突き放してもくれない。

 いっそ斬りつけてくれれば良いのに。

 立ち直れないくらい斬りつけて、離れてくれれば良いのに。

 まるで、綿で作った優しい鎖にやんわりと縛られているかのようだ。

 願ってやまなかった腕の中は、悲しいくらいに愛しくて。

 淋しくて堪らないのに、離れたくない。

「……私が抱き締めても良いですか、グローリア様」

「添い寝までなら」

「嬉しい」

 緩んだ腕の中でくるりと向きを変え、グローリアの背中に腕を回してしがみつく。

 忌々しくもグエンと同じ香り。

 グエンとは違う女性的な身体。

 柔らかい胸に顔を埋め、目蓋を閉じた。

「おやすみなさい、グローリア様。……ありがとう」

「おやすみなさい、ルビア。良い夢を」

 かつて感じた例がない安らぎに包まれ、いつの間にか入室していたポーラが部屋の灯りを消していったことにも気付けないまま、ルビアは深い眠りに就く。

 夢の中で、グローリアは屈託なく笑っていた。

 グエンではなく、ルビアに。

 ダンデリオンとしてではなく、グローリアとして。

 だから、ルビアも笑った。

 現実ではありえない、夢だと分かる幻の中で。

 ルビアという人間として、笑った。

 

「愛しています、私の『たんぽぽ(ダンデライオン)』」

 

 翌朝。

 健やかに眠っていた女性が、もう一人の女性の口付けを頬に受け止めて目を覚ました。

 どちらがどちらであったのかは、本人達しか知らない。

 

           おしまい。