梅見月ふたよの創作系裏話

創作物に関する独り言を連ねる日記帳

試行錯誤中です

前回からまたしても一ヶ月が経とうとしている事実に物凄く焦りを感じています。

おはようございます。

 

現在『黄色の花の物語』の読み切り短編を二本同時に書いている途中なのですが、順番的には先に出したかった話がどうしても歯抜け状態のまま進まず、かつ内容からして必須な挿絵が未完成である為、この話の後に出したかった短編から先に仕上げています。

こちらは速ければ今日、遅くても今週中には更新できるかと思います。

先に出したかった話は、後々完成次第追加挿入という形にします。

一方のサイト様はともかく、もう一方のサイト様で追加挿入ができるのかどうか分からないのがネックですが、気付いたら二ヶ月以上過ぎていた、とか恐ろしすぎるので、そこはもうやってみるしかないです。

 

前述の通り、先に出したかった話には挿絵が必須ですが、今までの挿絵とは毛色がまったく違う物でして。この挿絵を描く為に、急ピッチで西洋絵画の猛勉強に励んでいます。

猛勉強と言っても『この質感を表現するにはどんな風に描いたら良いか』とか技巧的な物が中心で、基本的にはいろんな絵画と睨めっこしてるだけなんですけども。

『この絵画は誰がいつ頃こういう背景があって描いた』とか『当時の社会情勢はどうだったか』とか、知識的な物は目に入らない限りひとまず横に置いて、とにかく絵画そのものを見ています。

 

西洋絵画をたくさん見ていると、色の不思議を感じます。

だいぶ端折った認識では、物体そのものに色は無く、物体に反射した光の波長を捉えているだけ、らしいですが。

世界では三色の虹、五色の虹、七色の虹など、同じ虹を見ても国によって色数が変わるそうで、それは一説によると『色に名前が無いから』らしいです。

日本では青の中でも藍や群青や浅葱や水色などグラデーションの僅かな違いの一つ一つにも名前を付けて識別していますが、どこかの文化圏では最大三色しか識別していないとかなんとか。

でも見えている物は同じだから、写生という概念と色を塗る道具さえあれば、どこの誰が描いても大体同じ色彩になる、と。熟れた林檎は赤い果実で、熟れたレモンは黄色い果実、みたいに。

それはまだ解るんですが。

見えている色彩を表現するためには、それに対応した着色道具が必要です。昔は青色だか紫色だかを作る素材が超高級品で、一介の職人では入手困難だったと聞き齧りのうろ覚え。

この着色道具、現代よりずっとずっと識別色が少なかったであろう時代は、誰がどうやって作ってたんだろう。

基本の三原色があれば大概の物は表現可能、とはいえ、色の名前が少ない時代。

しかも、色の感じ方は人によって微妙に違う。

絵画や壁画などが職人の専業とされていた頃は、道具を使って色を作るのは舎弟の仕事だったようですが、指標となる名前が無いのに、職人と舎弟でどうやって認識をすり合わせてたんだろう。昔の道具って、乾いたら色が変わるとか無かったんだろうか。

現代に残ってる西洋絵画は落ち着いた色調が多い印象だけど、あれは経年劣化でそう見えるだけなのか。実際あの色で塗られていたのか。修復士達の色覚によるものなのか。

絵の具事情とかコペンハーゲンの街並みとかを想像すると、バリバリ原色の絵画がもっとたくさんあっても良さそうなものですが。

石壁文化が多い地域だし、日常的に薄暗くて埃っぽく見えてはいたんだろうなあとは思う。

 

こういうところで無知を曝す自分。

しかし、無知は別に恥ずかしくないから、どんどん曝していきますよ。

恥ずかしいのは、知らないことを隠して、知らないまま目を逸らし続けることだと、ワタシハ、オモフ。

知らない物事を知っていくって、やっぱりすっごく楽しいです。

 

さて、朝ごはん後、お仕事後、書き描き大会です。

今日も一日、張り切って参りませう。